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砲台建造資材を陸揚げするために築かれた桟橋の 現在の姿 < 旧正野谷桟橋 / 愛媛県 >

旧正野谷桟橋1

四国西端の佐田岬の少し手前。豊予要塞を建造するにあたり 資材の揚陸を行うために築かれた、古い桟橋が現存します。

砲台建造資材を陸揚げするために築かれた桟橋

旧正野谷桟橋2

旧正野谷桟橋(きゅうしょうのたにさんばし / 愛媛県伊方町)

四国・九州を隔てる豊予海峡の防衛のため、大正8年(1919) 豊予要塞整備要領が決定、大分・愛媛両県で軍事要塞の建造が始まった。佐田岬から少し離れたこの場所には 第二砲台が設置されることになり、その資材陸揚げのために 軍によって桟橋が設置された。昭和2年(1927)竣工。
当時は佐田岬半島には公式的な道路が無く 海からの接岸が唯一の手段。佐田岬半島の港湾や集落の多くは南側に存在するので、北側に築かれた港は珍しい。季節風がより強く吹き付ける北側に 敢えて造られた理由は諸説あるが、敵機・敵艦(主に米軍)が南側から襲来することが想定されたため 隠避と揚陸を妨害されないよう、北側に建造された説がある。

旧正野谷桟橋3

県道沿いに立っている看板のところから階段、坂を下りて行く。
道は簡易舗装は施されているが 夏場はスズメバチやマムシ等の危険生物が出没することがあるので注意。

戦争遺構自体 戦後遺棄され草木に埋もれている所が多いので、探索は秋から冬、春までがお勧め。

造られて90年経った桟橋の今

旧正野谷桟橋4

海(瀬戸内海)に出ました。見てそれとわかる古びた桟橋。長さ約50m、幅約5m。24本の橋脚が支えます。

旧正野谷桟橋5

橋の上に立つと 所々に スリット(切れ目)が入っていることがわかる。

波圧防止装置 と言って、打ち寄せる波の力を分散させる工夫。風と波がひときわ強い佐田岬半島北側で 今日まで桟橋が崩壊を免れているのは、当時の最新技術を凝らして造ったがゆえでしょう。

旧正野谷桟橋6

裕次郎さん!
これを見て そう連想する人は、自分だけではないはず。
柱接岸した船舶を繋ぐ "係船柱" と呼ばれる設備。長年の潮風に晒されて すっかり錆びてしまっていますが、それがかえって良い味を出しています。

海から陸揚げされた資材は人力、荷車等を用いて 丘の上へ運ばれました。

旧正野谷桟橋7

桟橋の先端におばあちゃんが腰掛けていました。どうやら地元の方が 釣りをしているようです。

"延べ竿" に "ギョサン" スタイル。
趣味の釣りと言う雰囲気ではなく 夕食のための釣り。地元感たっぷりが素敵です。

元々 軍の船が接岸するために造られた桟橋ゆえ 足元は深い。それでいて潮通しの良さは全国有数の佐田岬付近。船で沖に出なくても 足元で魚がバンバン釣れる。この場所での釣りは 非常に理に叶っていると言えます。

旧正野谷桟橋8

「おばちゃーん、なんが釣れよん?」
*「ベラじゃあ」
「いつも ここおいでとん?」
*「うんうん」
*「食べる分だけ釣りにな」

旧正野谷桟橋9

元々は砲台を建造するために築かれた兵隊さんの桟橋。戦後始まった橋にとっての第二の人生は 地元の方々の生活のために寄与しているようで、どこか安心しました。

旧正野谷桟橋は 平成15年(2003)、文部科学省によって 文化財指定を受けました。戦後60年近く経ってその価値が認知されたことになります。
桟橋は随分くたびれてしまっていますが、いつまでも永くその形を留め この場所を伝える証人であって欲しいと願います。

続き

鮮やかな迷彩塗装が往時の姿を留める砲台跡 < 佐田岬第二砲台 / 愛媛県 >

< 自家用車 >
松山空港から 約2時間30分、103km
高松駅から 約4時間、255km

※ 主な地点からの最速・最短距離

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この記事を書いた人

野瀬 章史
野瀬 章史/ゲストハウスそらうみ 四国八十八ヶ所霊場会公認先達 法名・照山の僧籍

四国高松でゲストハウスそらうみを運営する傍ら、四国八十八ヶ所霊場会公認先達として、お遍路さんの案内を務める。法名・照山(しょうざん)の僧籍も持つ。趣味はバイクツーリング、カヌー、登山、鉄道、料理など。日本の全離島・全地点を隅々まで回るべく、愛犬しょうとの日本一周旅の途上。