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鮮やかな迷彩塗装が往時の姿を留める砲台跡 < 佐田岬第二砲台 / 愛媛県 >

佐田岬第二砲台8

山の中を探検していたら、森の中に泉が現れた...
だったら 童話の世界のようで素敵なのですが、背後の迷彩塗装の壁が ただならぬ雰囲気を醸し出しています。

こちらは 佐田岬に設置されていた砲台の跡です。

野に帰りつつある砲台跡

佐田岬第二砲台1

"軍用桟橋" こと、正野谷桟橋から県道に戻る途中に分岐点があり、そこから違う道を上がって行きます。

佐田岬第二砲台2

所々 かずらが垂れ下がっていたり、道が荒れています。野生動物や スズメバチ・マムシ等の危険生物にも注意。

戦争遺構の探索...
春... ◎
夏... × 虫が多い、草木が高い
秋... ▲ 草木が高い、台風後等 崩落が多い
冬... ◎

四国地方は雪が積もる場所が限られているので、四国の戦争遺構の探索は 冬から春の間に行いましょう。 

迷彩塗装が鮮やかな砲台設備と砲座跡

佐田岬第二砲台3

佐田岬第二砲台(さだみさきだいにほうだい)

旧正野谷桟橋(軍用桟橋)が建設された最大の理由は、こちらの第二砲台建造資材を揚陸するため。戦前・戦中は国内有数の軍事要塞・佐田岬。砲台がのべ12門設置された。

第一砲台... 4門
大正15年(1926)設置、昭和19年(1944)撤去→ 鹿児島県志布志に移設
第二砲台... 4門
昭和2年(1927)設置、昭和19年(1944)撤去→ 鹿児島県志布志に移設
第三・第四砲台(穹窖砲台)... 2門・2門
昭和20年(1945)設置、敗戦により英国軍によって爆破処理

あくまで現役のまま終戦を迎えた 第三・第四砲台と異なり、既に砲台設備が撤去されていた第一・第二砲台は、連合国判断で危険性無しと見なされたか、爆破処理を免れている。

佐田岬第二砲台4

他の砲台が 土台が築かれ移動式野砲が設置されていたのに対して、第二砲台の特徴は露天の砲台が据え置かれた。故に移設時はいわゆるユニットごと移されているので、砲座跡がこのように地面に穴が開いた形状になっている。

4つある砲台跡のうち、3つは水が溜まって泉のような状態に。一つはこちらのように落ち葉で埋もれています。

砲台関連設備・砲側庫

佐田岬第二砲台5

こちらの砲台跡の特徴 迷彩塗装

戦前から存在する発電施設等、迷彩塗装が施された施設は 世の中数多く存在するけれど、ここまで鮮明にその色を見ることができることは 極めて稀。

佐田岬第二砲台6

砲側庫(ほうそくこ)

砲台二門 - 砲側庫 - 砲台二門 の位置関係。
それぞれの砲台の間にあり、役割は弾薬庫であり 兵士の休憩所であり、避難所であり...

訪問時はここを通り抜けて反対側へ出ましたが、中の様子は撮っていません。少しこわかったので 足早に通り過ぎました。しっかり塗装が施されているため 状態が良く、とても綺麗です。

戦後70年を経過して...

佐田岬第二砲台7

佐田岬第二砲台の運用は 試射のみで、実戦に用いられることなく 役目を終えました。第一・第二(※ここ)砲台が廃止され 第三・第四(穹窖砲台)砲台が設置された際、兵員の詰所になる等 要塞の一部として再び運用されたが、砲台としては再設置されることなく終戦を迎え、爆破されることなく 静かに野に帰った。

戦後70年が過ぎても、このような良い状態で残っていることを奇跡と言って良いのか、施設の性質上 意見が分かれるところです。
佐田岬の戦争遺構は 自治体によって着々と保存活動が進んでいるので、個人的な想いですが こちら第二砲台も文化財として丁重に保存→一般公開される日が来て欲しいです。

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※ 地点が登録されていないので、近接の旧正野谷桟橋の位置を記してあります。

< 自家用車 >
松山空港から 約2時間30分、103km
高松駅から 約4時間、255km

※ 主な地点からの最速・最短距離

この記事を書いた人

野瀬 章史
野瀬 章史/ゲストハウスそらうみ 四国八十八ヶ所霊場会公認先達 法名・照山の僧籍

四国高松でゲストハウスそらうみを運営する傍ら、四国八十八ヶ所霊場会公認先達として、お遍路さんの案内を務める。法名・照山(しょうざん)の僧籍も持つ。趣味はバイクツーリング、カヌー、登山、鉄道、料理など。日本の全離島・全地点を隅々まで回るべく、愛犬しょうとの日本一周旅の途上。