四国の鉄道が繋がった瞬間を見届けた立会人 < 土讃線三縄駅 / 徳島県 >
JR土讃線三縄駅(JRどさんせんみなわえき)
今日 各駅停車が上下それぞれ数本ずつが停車する小さな無人駅ですが、ここは四国にとって歴史的な一場面となった場所であることは 殆ど知られていません。
四国の鉄道が繋がった瞬間
駅の歴史は古く 開業から80年を超える。
現在は 香川 - 高知 を結ぶ土讃線所属の駅だが、開業時は 徳島 - 阿波池田 を結ぶ徳島本線の駅として開業。
★徳島線
< 明治32年・1899 > 徳島 - 鴨島 開業
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< 大正2年・1913 > 徳島線 → 徳島本線
< 大正3年・1914 > 徳島 - 阿波池田 現在の徳島線区間全通
< 昭和6年・1931 > 徳島 - 阿波池田 - 三縄 延伸開業
< 昭和10年・1935 > 徳島 - 佐古 - 阿波池田 - 三縄 佐古駅開業
< 昭和10年・1935 > 徳島 - 佐古 - 阿波池田 - 三縄 土讃線全通により三縄駅は同線に所属変更
< 昭和25年・1950 > 徳島 - 佐古 - 佃 - 阿波池田 - 三縄 佃駅開業
< 昭和37年・1962 > 徳島 - 佐古 - 佃 - 阿波池田 - 三縄 土讃本線との重複を解消
< 昭和62年・1987 > 徳島 - 佐古 - 佃 - 阿波池田 - 三縄 高徳本線との重複を解消
< 昭和63年・1988 > 徳島本線 → 徳島線 現在の名称
三縄駅は、一旦 徳島から延びる路線として建設された上で、香川・高知両県から建設が始まった路線との接続を待つことになる。
★土讃線・北側
< 明治22年・1889 > 丸亀 - 多度津 - 琴平 四国で二番目の鉄道誕生
< 明治30年・1897 > 高松 - 丸亀 - 多度津 - 琴平 高松・丸亀間(現予讃線区間)開業
< 昭和4年・1929 > 高松 - 丸亀 - 多度津 - 琴平 - 佃信号所 徳島本線に接続
< 昭和6年・1931 > 高松 - 丸亀 - 多度津 - 琴平 - 佃信号所 - 三縄 徳島本線として延伸
< 昭和10年・1935 > 高松 - 丸亀 - 多度津 - 琴平 - 佃信号所 - 三縄 - 豊永 - 高知 - 須崎 南北が繋がる、区間を 多度津 - 須崎 とした上で名称を土讃線に
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< 昭和26年・1951 > 多度津 - 琴平 - 佃 - 三縄 - 豊永 - 高知 - 須崎 - 窪川 土讃線全通
< 昭和38年・1963 > 土讃線 → 土讃本線
< 昭和63年・1988 > 土讃本線 → 土讃線 現在の名称
★土讃線・南側
< 大正13年・1924 > 須崎 - 高知 開業
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< 昭和9年・1934 > < 昭和10年・1935 > 北側参照
北(香川=讃岐)と南(高知=土佐)から順次建設が進められていき、昭和10年(1935) 土讃線の主要区間が開通。これによって < 高松・徳島・松山・高知 >四国四都がそれぞれ鉄路で結ばれた瞬間であり、同時に高知県が県外と接続する近代交通機関と初めて繋がった。後者は北海道と沖縄を除く府県では最後の出来事だった。
現在の三縄駅の様子
一時期 終着駅となっていた名残か、駅構内の敷地が広く取られているのが特徴。現在だけ見ると 駅周辺の街の規模に対してオーバースペックなのですが、この駅の歴史を知ると、その理由がわかります。
「47 1/2」は起点からの距離。多度津駅から47kmと半分来たところ、という意味。
岡山からの特急南風・アンパンマン列車が駆け抜けていきました。
ディーゼル車(気動車)ならではの排気音と匂い、重厚感から来る振動。ファンタジックなアンパンマンラッピングと相反する 無骨な性格を持つ車両ですが、気動車はローカル感をとても良く演出します。
架線が張られていない非電化区間は 空が広く感じられることも好材料です。
土讃線のハイライトシーン
第一吉野川橋りょう
三縄駅から先 土讃線は山岳区間となり、吉野川を脚高な橋脚で渡り、急峻な山はトンネルが貫きます。
第二吉野川橋りょう
どちらも土讃線きっての鉄道撮影ポイント。
これら二橋は
脚高な橋脚 + プレートガーダー(鉄板) + 鋼鉄トラス(骨組み)
の造りがほぼ同じ兄弟橋。建造当時 路線最大の難所工事となり、これらの完成をもって 土讃線が開通しました。
三縄駅
< 自家用車 >
高松空港から 約1時間20分、53km
徳島阿波おどり空港から 約1時間30分、91km
< 鉄道 >
JR高松駅 - 三縄駅 約1時間40分
JR徳島駅 - 三縄駅 約1時間40分
※ 主な地点からの最速・最短距離