海の安全を願う金毘羅権現のご利益 < 波止浜港 / 愛媛県 >
しまなみ海道四国側の起点、今治市波止浜港(はしはまこう)にある大きな燈籠。海の安全を守る金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)の名が彫られていますが、これはどういうことでしょうか。
金毘羅大権現と塩飽水軍
金毘羅大権現 とは神様の名前であり、 "讃岐のこんぴらさん" こと、現・金刀比羅宮の旧称でもある。祭神としてかつて祀られていたのが金毘羅大権現。
明治の神仏判然令によって、大物主命(おおものぬしのみこと)を祀る神社となった上で、現在の名称に改められた。
こんぴらさんのご利益と言えば "海上安全"
船乗りなど 海で仕事をする人々の信仰を集めている。
が、あらゆる「水」に関するご利益は 現在の祭神・大物主命が得意とする力であり、当初から金毘羅大権現が「水」に関するご利益を謳っていたわけではない。
それなのに 古来から、
こんぴら詣 = 海上安全
となったのは、瀬戸内海を根城にしていた塩飽水軍(しわくすいぐん)の月参りに由来すると言われている。
強大な力を誇り 高度な自治を認められていた彼らは金毘羅大権現を篤く信仰し、全国の行く先々で金毘羅信仰を広めた。
着々と勢力を伸ばしていく塩飽水軍を見た民衆は 「金毘羅権現の力」と噂するようになり、いつしか "金毘羅権現は海の神様" と認識されるようになっていったようです。
※ こんぴらさんの縁日は 毎月10日
忍者と言えば 甲賀と伊賀があるように、
塩飽水軍と対になる存在として 伊予・安芸國にまたがる地域(現在のしまなみ海道)を根城にしていたのが "村上水軍"
彼らも同じように海の男たち。塩飽水軍と同様 金毘羅権現を信仰し、各支配地域に金毘羅信仰を広めた。管理を任されている波止浜港は 四国の玄関口の一つとして "伊予の小長崎" と称されるほど栄えた。
金毘羅燈籠が建てられた年、移設された年
こちらの燈籠は、嘉永二年(1849)己酉(つちのととり)十月吉日に建てられた。
嘉永年間と言えば 長く続いた江戸時代に変化が起きた年。
嘉永六年(1853)... マシューペリーが浦賀に来航
嘉永七年(1854)... 日米和親条約締結
燈籠の裏面には この場所に移設された年月と、携わった者の名前が刻まれている。
明治三十五年八月●●●●
公共交通機関でのアクセス
渡し場停留所
波止浜港へは自家用車の他、路線バスで来ることが出来る。
バスでアクセスの際は、1・2時間に一本程度と 便数が少ないので注意。
波止浜港・金毘羅燈籠の場所
< 自家用車 >
高松駅から 約2時間20分、150km
松山空港から 約1時間20分、50km
< 路線バス >
JR今治駅 → 渡し場停留所下車
※ 主な地点からの最速・最短距離