空から見る徳島県 < 徳島県東部・淡路島 >
飛行機は高知県を過ぎると 徳島県との県境付近に差し掛かりました。
この辺りは四国第二の高峰・剣山があるエリア。標高が高いところには雪が積もっているのがわかります。
四国第二の高峰・剣山周辺
この山のどこかに太郎笈(たろうぎゅう)こと 剣山(つるぎさん / 1955m)があるに違いない。
剣山周辺は国内有数の人口希薄地域であるが、少し離れると集落が見える。外国だったら空からでも人家一つ見当たらない場所はたくさんあるだろうが、そこが日本ってことだろうか。
徳島市近郊、紫陽花の名所
風力発電にうっすら白い斜面
徳島からほど近い大河原高原(おおがわらこうげん)に違いない。紫陽花(アジサイ)の名所で、高原にあることから遅咲き・平地に比べて 花を長く楽しむことができる場所です。
徳島の誇り・眉山
眉山(びざん)・鮎喰川(あくいがわ)
神山方面から流れてくる鮎喰川が吉野川と合流する地点が、徳島市。この場所は "徳島市街の入口" にあたる。
眉山には造成されたゴルフ場が見えますが、うーん、環境への影響が気になります。街から近いところに広大なゴルフコースがあるのですね。
徳島の心、四国三郎こと...
吉野川
下流から、
高徳線吉野川橋りょう(こうとくせんよしのがわきょうりょう) ...昭和10年(1935)
四国三郎橋(しこくさぶろうばし) ...平成10年(1998)
名田橋(なだばし) ...昭和38年(1963)
第十堰(だいじゅうぜき) ...寛文12年(1672) ※橋ではない
徳島の歴史は 吉野川の治水と共に歩んできた。橋が出来た年を並べてみると その歴史の一端が見える。
なお、第十堰の位置で河口から14kmの距離があるが、満潮時はこの場所まで海水が上がってくるため、時間帯によっては 海水と淡水が混じった汽水になる。
実際、この場所でタチウオを釣ったことがあります。まんま川なのに!
奥に見える吉野川は 治水対策により川幅を広く直線化した、新しい吉野川。
かつての吉野川は 第十堰の少し上流から内陸(板野町)へ向かって流れ、河口近い場所で今切川(いまぎれがわ・左)と分流して、海に注いでいた。
googlemap等でこの付近の地図を見ると、川が蛇行していることがわかります。
左・新吉野川
右・旧吉野川
旧吉野川の右(北)が板野町。"板野" の地名由来の一つに、「潮が来る野」 という説があります。潮はかつて「イタ」と読むことがあった。
茨城県にはその名も 「潮来市 / いたこし」 がありますが、由来はそこと同様。
潮来は利根川を通じて遡上した潮が達する場所
板野(潮野)は吉野川を通じて遡上した潮が達する場所
茨城の方は当地出身の有名人であり超大物の徳川光圀公(=黄門さま)の命によって「潮」の字を当てたというが、徳島は「板」の字に転訛した。
どの時代で、誰が?
そこはわかりませんが、水害の頻発する場所の事。水に関係する地名を忌避したのかもしれませんね。
かつては阿波領の淡路島
四国を離れて淡路島まで飛んできました。
南あわじ市にある風力発電群。これは四国や小豆島からもよく見えます。海に浮かぶ生け簀は 海苔の養殖です。
淡路島も北部へ差し掛かると見えてくるのが大観音像。
建造当時は「世界最大100mの観音像」ということで話題になったが、現在は閉鎖されて廃墟になっている。元より宗教施設ではなく、オーナーが私財を投じて作った博物館であり、収集したクラシックカー等が展示されていた。
竣工から40年が過ぎ 倒壊の危険が指摘されているが、地権の問題から撤去が進まず 地元での心配事になっている様子。
本州と四国を繋ぐ夢の懸け橋こと "明石海峡大橋"
二本の橋脚の径間・1991mは世界最長で、竣工から20年以上経った今も破られていない。
この橋の完成によって 特に関西・四国間の移動は当ルートに集約された感がある。
旅情溢れる本四連絡船の多くが姿を消すこととなったが、四国が "陸続き" となった恩恵は、この橋の開通の効果が最も大きかった。