かつての海軍飛行場に残る掩体壕群 < 松山空港周辺 / 愛媛県松山市 >
四国最大の空港・松山空港。
前身は 数々の軍事要塞が存在した広島湾周辺を防衛するために、帝国海軍が建設した「海軍吉田濱飛行場」
戦後の一時期、中四国エリアの占領にあたった英国連邦軍に接収されていた時期を経て、現在は民間空港になっています。
周辺を散策してみると軍用空港であった名残を見ることができます。
掩体壕①
松山空港に近接する 松山市南吉田町。
現在は宅地化されて民家が広がる地域になっていますが、その住宅街の中に突如現れる無骨なコンクリート建造物。ここでは住居と田んぼの区割りからはみ出していて、明らかに不自然です。
背が低ければ 風景に溶け込んでいるとも言えるため、通りすがりでは見落としてしまいます。
掩体壕(えんたいごう)
敵の攻撃から駐機している戦闘機を守るための飛行機版・防空壕。国内では旧軍用空港に近接した場所に残されていることがある。
こちらの土地は民間に払い下げられ、「上物(うわもの)」として掩体壕があり、窓やドア・エアコン室外機の様子から 何らかの生活用途に使用されている様子。
道路にはみ出す部分のコンクリートが切り取られていて、掩体壕の材質を見ることができる。
コンクリートに混じって 小石がゴロゴロ...
建造資材を調達する時間がなかったか、そもそも不足していて 粗い砂利で補ったか...
縦に溝が入っていますが、これは掩体の端っこを切り取るときについた 機械の痕と思われます。
その性質から相当頑丈に造っているので 解体には費用が嵩みます。この場所のように住宅密集地であれば ダイナマイトは使用できません。掩体壕が今に残されている理由の一つです。
(仮)掩体壕①
掩体壕②
一つ目の掩体壕から西寄り、少し空港に近付いた地点。掩体壕がどこにあるかわかりますか?
反対側に回ってきました。民家に隣接して掩体壕が存在します。
ここも地権者さんによって 何らかの利用がされている様子。
先ほどの掩体壕と異なり 間口が広く取られたこの形状は「陸軍型」
海軍と陸軍
双方ライバル意識が相当あったことが知られていますが、戦局が悪化した大戦末期は そうも言っておられず、資材が少なくて済む 陸軍型掩体壕は、海軍でも取り入れられたようです。
(仮)掩体壕2
掩体壕③
県道22号に戻ってきました。
松山空港周辺に残されている三つの掩体壕。ここもすぐ横は新しいアパートが建っており、宅地化の波が押し寄せています。
形状は二番目の掩体壕と同じく、オープンワイドな陸軍型。
こちらは地権者によって壁が設置され、倉庫として使用されている様子でした。
(仮)掩体壕3
予科練松山海軍航空隊
松山海軍航空隊跡地の碑
掩体壕群は空港の南地区。こちらの石碑が立っているのは、北地区。現在 帝人さんの工場がある入口付近です。
北地区には予科練海軍松山航空隊が置かれ、未来の荒鷲を夢見て若者たちが訓練に励んでいた...
のは、制度当初の話。
戦局が悪化した大戦末期は まともな訓練を行う事はままならず、また 予科練を終了しても搭乗する飛行機が不足していたため、飛行機に乗れない者が多かった。
そのため、
掩体壕や防空壕の建造等の土木作業に駆り出される者。
人間魚雷・回天や 水上特攻艇・震洋など、特攻兵器の訓練に回される者など、本来の目的である パイロット養成機関の性質からかけ離れて行った。
予科練は教育機関であって、軍備が行われていたのは飛行場南側。
北側... 松山海軍航空隊(予科練)
南側... 松山海軍航空基地
掩体壕が南地区に存在するのはそのため。
「松山の航空隊」と言うと 源田實司令率いる「第三四三航空隊 / 剣部隊」が有名ですが、こちらも南側に配備された部隊です。
平和の尊さを後世へ...
現在、松山空港周辺は 松山自動車道から続くバイパス建設による工事で、周辺の景観は急速に変貌しつつあります。
三基の掩体壕は新しい住宅地に位置するため 道路拡張による立ち退きは考えにくいですが、他県のそれと違い 文化財に指定されていないため、いつ無くなってもおかしくない状況です。
戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に伝えるため、一定の保存が行われることを望みます。
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