日本にもあった分断統治の島 < 沖の島 / 高知県宿毛市 >
四国で一番最後に夕日が沈む街・高知県宿毛市(すくもし)。
徳島や香川で四国に上陸したとしても、ここまで来るのはなかなか大変。
宿毛自体が "四国の端っこ" とも言える場所ですが、その先には更に有人島があり 定期船で渡航することが可能です。
沖の島(おきのしま)
四国で最も早く海開きが行われる場所で、亜熱帯に属する島の海では 珊瑚礁を見ることもできる。
高知 / 愛媛どちらにも近い場所柄、この地域で激しかった県境(國境)争いは 沖の島でも勃発しました。
日本にも有った分断統治の島
室町時代頃から土佐・宇和島(伊予)の両者の勢力が延び、
北部を宇和島
南部を土佐
と分かれて支配する形が自然と形成されていった。
万治2年(1659)
たびたび発生する境界争いに終止符を打つべく、江戸幕府に裁定を仰ぐ。土佐藩家老・野中兼山(のなかけんざん)の尽力もあり、土佐側の主張が ほぼ認められる形で、島内に國境を引くことで決着した。以後、宇和島・土佐両藩による分割統治が行われた。
明治4年(1871) 廃藩置県により沖の島の宇和島藩領が宇和島県になる
明治5年(1872) 宇和島県 → 神山県
明治6年(1873) 神山県・石鉄県 → 愛媛県
明治9年(1876) 沖の島の愛媛県管轄区域 → 高知県に移管
その歴史を見ると、時代時代によって 土佐(高知)側有利な裁定になっていることがわかります。地図で見ると高知県の方が近いので、それが自然な形なのかもしれません。
★ 高知県の陸地が近い
★ けれど、その中心(高知市)からは遠く
★ 宇和島の方が近い
★ そこは有力大名である伊達家が治めていた
どちらかと言えば、宇和島側に力があり 領地を半分取ることができた、と考えることができそうです。
フェリーすくも
島へ渡る唯一の交通機関・フェリーすくも。沖の島が所属する宿毛市による運営。
片島(四国本土) → 鵜来島(うぐるしま) → 弘瀬(ひろせ/沖の島) → 母島(もしま/沖の島) → 片島(四国本土)
片島(四国本土) → 母島(もしま/沖の島) → 弘瀬(ひろせ/沖の島) → 鵜来島(うぐるしま) → 片島(四国本土)
一日あたり 二パターン(二往復)の運航。
午前の便に乗れば 午後の便で戻る日帰り島旅も可能ですが、朝7時に片島港に居ることは結構難しい。市内や近隣市町で前泊していても 結構な早起きになりますし、高松からだと2時台には出発する必要があります。それはもう夜行です。
午後便で島に渡航する場合、島内宿泊が決定します。
左から...
四国本土(大月町)
柏島
姫島(無人島)
沖の島
水島(無人島)
沖の島周辺には 無人島も多いのですが、かと言って軽視はできません。高知/愛媛 どちらに所属するかによって、漁業の自由度が大きく変わります。土佐・宇和島の國境争いは、元々はそれを巡っての争いだったとも言えます。
沖の島には、
弘瀬(ひろせ / 旧土佐)
母島(もしま / 旧宇和島)
二つの集落がありますが、どちらも西側にあるため 宿毛(四国本土)から集落は見えません。
旧土佐領・弘瀬(ひろせ)
フェリーすくもは 弘瀬港に入港しました。
旧土佐領の弘瀬集落は、斜面に石垣を組んで居住地を確保していることがわかります。
弘瀬集落の特徴として、
白い壁
水色の屋根
土佐の家屋様式には漆喰(しっくい)が用いられることが多く、白い壁が目立つのは 白木柱や漆喰を用いているため。
また 瓦屋根より、トタン等の金属屋根が目立ちます。それらは瓦と異なり錆が発生するので、定期的な塗装が不可欠。
離島では生活に欠かせないものに 自己所有の船がありますが、そちらの再塗装頻度は 家屋よりサイクルが短い。その塗装剤と家の屋根に塗る塗料を兼用することがある(=船に塗って余ったら屋根に塗る)そうです。すべてがそうではないのでしょうが、屋根の水色はそのためかもしれません。
映画 "孤島の太陽" の群像。
昭和30年代。島に医者がおらず 劣悪な衛生状態にある中で、島で保健衛生医療行為やその向上に努めた「荒木初子」駐在保健婦の物語。
映画化が決定して沖の島でロケが行われましたが、主演の樫山文枝(荒木初子役)は NHK連続テレビ小説「おはなはん」のヒットで人気絶頂にあり、そのような売れっ子が辺境の孤島に来ること自体、極めて異例の事だったようです。
また、キャスト・スタッフを含めると島内の宿泊施設では賄いきれず、学校の教員住宅や一般の民家を間借りして撮影を行ったと言います。今でいうところの民泊か、農家民宿のような感じ。こちらの群像は、その物語の映画化を記念して建てられました。
旧宇和島領・母島(もしま)
フェリーすくもは 沖の島もう一つの集落・母島港に入港しました。
こちらの集落は、谷間を中心として両翼に家屋が広がる形状。平地が乏しい点では共通しています。
地形によるものでしょうが、平たい斜面に家が立ち並ぶ弘瀬集落とは集落の広がりが異なります。
母島集落の特徴として、
ベンガラ塗の家壁
瓦屋根
白壁の多くはコンクリート製で、木造家屋に 白壁の家はあまり見られません。
また屋根に瓦を用いている家屋が多く、水色塗装の屋根が見られない。
常に強い季節風や、夏には台風の進路に当たることが多く、強風から家を守る瓦屋根は この島では理にかなっていると言える。しかしながら 島の規模を考えると、瓦を生産することはできるように思えない...
そこは伊予一国と考えると 瀬戸内海側の菊間(きくま)という街が、瓦の一大産地。そこで資材を得、領民が住んでいる既成事実を作るために、移住の奨励や 生活資材の提供が行われた... かもしれません。
占領地へ大勢の自国移民を送り込み、援助を出して「人が暮らしている」居住権を主張する手法は、世界中で広く用いられる常套手段。北方領土がそうです。
沖の島においては宇和島側の支配が やや不自然な形なので、そのような政策が行われていたとしても、不思議ではありません。
母島港は、港というか 道路に定期船を横付けして発着します。平地が殆ど無い島の事情が よく表れています。
弘瀬(旧土佐)
母島(旧宇和島)
家屋の様式にはっきりと違いが出ていますが、沖の島が高知県になって100年以上経つ今でも それぞれの集落で話されている言葉は、土佐弁/伊予弁に由来するそうです。
沖の島
< 自家用車 > ※ 定期船が発着する片島港まで
高松駅か 約4時間、260km
高知龍馬空港から 約2時間40分、152km
松山空港から 約2時間40分、157km
< 定期船 >
片島港から宿毛市営フェリー 二往復 / 一日
※ 主な地点からの最速・最短距離
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