四万十川にはダムがあるのか、ないのか < 家地川取水堰 / 高知県四万十町 >
「最後の清流」
「悠久の流れ」
と称される、日本を代表する河川・四万十川(しまんとがわ)。
水質の良さや、今でも川と人々の暮らしが結びついた情景は、最後の清流と呼ぶに相応しいロケーションと言えます。
ただ、清流を誇張するあまり
*「本流にダムが無く...」
と紹介されることが、しばしばあります。これについては 正解でなければ、間違いでもない。それはどういうことでしょうか。
「ダム」と「堰」
ここは四万十川の本流。中流よりやや上の地点ですが、ご覧の通りダムのようなものが存在します。実際、水はせき止められ川にはバックウォーター現象が起きています。
バックウォーター... 下流の状況により、川の流れが止まっていたり逆流している現象
周辺はダム公園として整備され、春には桜が咲き誇る地域の桜の名所でもあります。
堰堤に近付いていくと、これは正真正銘ダムの姿形。四万十川本流は流れが止まり、ダム湖になっています。
家地川取水堰(いえじがわしゅすいぜき / 高知県四万十町)
通称 家地川ダム。四万十川本流にもダムがあります。
のようなものがあります、と言った方が正しいでしょうか。
日本の法律では 川に設けられた堰の事を「堤高が15m以上を"ダム"、それ以下を"堰堤"」と定義しているためです。
四万十川の本流にはダムが無くて→ 実情ダムの役割を果たしている施設はある、けれどそれは法律の定義ではダムと呼ばない
こんなカラクリです。
家地川ダム建設の機運
家地川ダムの歴史は古く、戦前の昭和12年(1937)12月の竣工。
同年7月に始まったのが日中戦争。12月13日には 日本軍が首都南京(国民政府は11月に重慶へ遷都)を占領している。
時代は昭和20年まで続く15年戦争真っ只中で、エネルギー確保が声高に叫ばれた時代。自然や環境が省みられる事はなく、水力発電での電源確保を目的として 全国各地で川にダムが作られていった。
他方では、秋田県田沢湖の固有魚種・クニマスが、電源開発によって湖に導入された玉川の水が強酸性水だったため、絶滅した(その後、山梨県西湖で再発見)。そんな時代です。
ダムでは本流に放水される水と、左岸沿いに設けられた導水管を経て佐賀発電所へ送られ、四万十川と別れを告げ 別水系の伊与木川へ放水されている。
家地川駅(取水地点 / 予土線)約185m
伊与喜駅(放水地点 / 土佐くろしお鉄道)約18m
それぞれ近くを走る鉄道駅の標高を参考にすると、両者には大きな高低差があることがわかる。そのことが水力発電好適地と見なされ、電源開発に繋がった。
ダムの話となると必ず環境問題が浮上します。けれどこの場所で電源開発が行われたことによって、県都から遠く離れたこの場所で暮らす周辺住民にとって、生活環境が大きく向上したという側面も確かに存在します。
驚異的な回復を見せる四万十川
この時点では前述のような好ロケーションで語られる四万十川の姿は無い。また家地川ダムのエリアである旧窪川町(現四万十町)は 人口15,000人を擁し、四万十川が流れる街では 第二位の人口を誇る(第一位は四万十市)。川にはそれなりに生活排水が流れ込み、水質はお世辞にも良くない。
四万十川の凄いところは、ここから。
家地川ダムの下流で、檮原川(ゆすはらがわ)を始め 数多くの支流が流れ込み、
水量(=悠久)
水質(=水質)
を回復させながら太平洋に注ぐ。
四万十
の名前の由来の一つに、山間部を穿入蛇行(せんにゅうだこう)しながら 多くの支流の水を加えていくことが挙げられますが、それらの地点の多くが 家地川ダムの下流にあることが幸いしていると言えます。
家地川取水堰(家地川ダム)
< 自家用車 >
高松駅から 約2時間50分、203km
高知龍馬空港から 約1時間30分、95km
< 公共交通機関 >
JR予土線・家地川駅下車 徒歩約6分
※ 主な地点からの最速・最短距離
続き
2019,5/25 四万十川の水が用いられる水力発電所 < 佐賀発電所 / 高知県黒潮町 >