土佐の名建築。アールデコ調の壁柱を持つトンネル< 大渡隧道 / 高知県仁淀川町 >
高知県の山奥・仁淀川町に、あまりにも優美な造りの隧道(ずいどう)があります。土佐の名建築の一つにも数えられるトンネルを訪ねてみます。
大渡隧道(おおどずいどう)
大渡隧道(おおどずいどう/高知県仁淀川町)
こちらのトンネルがある街道自体の歴史は非常に古く、天智天皇元年(662)に制定された久万官道に遡る。
その後、松山と高知を結ぶ松山街道(土佐街道)となり、明治期に香川県議・大久保諶之丞(おおくぼじんのじょう)による四国新道工事、昭和期の国道指定と、幾多の整備が行われてきた。
当隧道の完成は昭和7年(1932)竣工。
同年3月1日、満州国建国が宣言されています。
意匠の凝らされたデザイン
高知市側の入口に立ち、坑門を見上げます。
張りだした壁柱はその優美な形状だけでなく、側面にもスリットが入っていたり装飾が立体的になっていたりと、近付いて見るとより美しい造りであることがわかります。
ここまで凝った造りになっている理由を考察するに、隧道が作られた昭和初期はそれまでの主資材であった石材や煉瓦からコンクリートに取って代わった時期。
施工事例に乏しく、工事規模に対して大きな予算がついていたため装飾に充てる費用が十分にあった。
これまでなかったコンクリート隧道の施工実績を誇示するために、特別こだわった。
トンネルという暗いイメージを覆すために、明るく親しまれるものを創造した。
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お金があったから出来たわけではなく、むしろ昭和4年(1929)に起こった昭和恐慌によって、未曾有の不景気に見舞われていた時代。国費は来たる大戦に向けられていたでしょうし、地方の山奥をかまっている場合ではなかったことと想像します。
そんな時代にあっても工事に携わった職人たちは、妥協を許さず隧道工事に当たった。その結果が、現代にも通ずる美しい隧道として今に伝わっています。
全ては想像の域ですが、多くの人々の力が合わさって出来た隧道であることが、この柱を眺めていると思い浮かびます。
延長32mの隧道内部
隧道内部に進入します。
トンネル自体は短く延長32mほど。反対側の入口が見えています。
内部は経年劣化によるものでしょうか。漏水が多く見られます。
白く見えるのは、コンクリートに含まれる石灰成分が溶け出したもの。天然・人工の違いはありますが、この状態が長く続くと鍾乳洞のようになることでしょう。数十・数百年必要なお話。
ミニ八十八ヶ所
トンネルを通って反対側の入口にやってきました。大渡地区は高知・愛媛の県境エリアではありますが、このトンネルが県境ではありません。
大渡トンネルの松山方向の入口の両脇に並ぶ石仏たち。
よく観察してみると、仏さまの台座に「番四十八」「番三十八」と刻まれています。四国八十八ヶ所を自分の土地に模した「ミニ八十八ヶ所」のようです。
四国八十八ヶ所のルールとして、仏さまを祀る「本堂」と、弘法大師を祀る「大師堂」。この二堂で手を合わせるルールに従って、こちらのミニ四国でも各札所ごとに本尊と弘法大師さまが祀られています。
ここで一宮さん(第83番一宮寺)に会えるとは、ご縁だなあと感じました。
昔々、地域の寺院や共有地に四国八十八ヶ所を模して造られたのがミニ八十八ヶ所。それを回ると本四国を回った事と同等のご利益を得ることができるとされます。
現代では手抜きと揶揄されるミニ四国参りですが、元々の成り立ちはそのようなことはありません。
誰もが旅というものに出ることができない時代。集落でお金を出し合い、身体が強い者・信頼が厚い者などを代表者として「お四国参り」に送り出した。
代表者は各札所の情報やいわれを見聞きして記録(記憶)。そのような情報を地元へ持ち帰り、村人や集落の寺院などの協力を得て地元に写し霊場を作った。本四国へ行かなくても四国八十八ヶ所をお参りできるようになった村人たちは、とても助かったと言います。
四国であれば大渡のような山間部。瀬戸内海の島々。四国に近い土地だけではなく、ミニ四国八十八ヶ所は全国で見ることができます。
トンネルが存在する秘密
松山方面の坑門
基本的に同じデザイン。高知方面との違いは、ミニ八十八ヶ所が置かれているか居ないかです。
大渡隧道は両側から上部へ通じる道があり、トンネルを上から見ることができます。
坂を少し上がったところ。
トンネルの壁柱、国道33号、そして近くを仁淀川が流れていることがわかります。
「仁淀ブルー」と名高い日本を代表する清流ですが、この時は雨上がりで濁り気味。すぐ近くに大渡ダムがあるので、この水域が濁るのは仕方が無いのかもしれません。
四角いコンクリート台の下が大渡隧道。
たったそれだけの距離なら山をくり抜くより切り崩した方が、技術的・費用的に有利なのでは...と考えますが、そこには理由があるようです。
この場所は元々四国電力さんの水力発電施設があり、貯水池や導水管が設置されていました。上部がしっかり造られているのはそのため。
現在は大渡ダムの完成によって水力発電所はこの場所からやや上流に移転し、導水管等発電施設は撤去されました。また、付近を通る国道32号もバイパスが早い時代から供用されて、道幅が狭い大渡隧道を経由せず通行することができます。
コンクリートであることが幸いして、劣化速度は他の資材と比べて緩やか。近代化遺産にも選定されていて、今すぐどうこうなるというものではありません。国道から見ることもできるので、高知から松山、またはその逆で当区間を通行する際はちょっと寄り道いかがでしょう。
大渡隧道
< 自家用車 >
高松駅から 約2時間40分、168km
高知龍馬空港から 約1時間30分、81km
松山空港から 約1時間20分、70km
※ 主な地点からの最速・最短距離
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