かつて舟を担ぎ上げていた場所に築かれた運河<船越運河/愛媛県宇和島市・愛南町>
南予地方(なんよちほう、愛媛県南部)に存在する3つの運河のうち、こちらは最大規模。四国と九州を分ける豊予海峡へ向かって細長く伸びる由良半島の中間に、この運河が存在します。
運河の場所
由良半島の位置はこちら
向かい合う陸地は九州大分です。荒海を渡ることを考えれば、近隣都市へ陸路で往来した方が便利なように思いますが、付近一帯は急斜面が海へ落ちるリアス式海岸。集落同士は必ず山や峠を越える必要があったため、荷物の運搬や客船の就航など舟運が利用されてきました。
かと言って潮流の早い豊予海峡(豊後水道)。由良半島先端・由良岬は潮流が速い上に浅瀬が多く、航海の難所として知られていた。実際に昭和8年1月24日には、深浦港行きの第三大和丸が由良岬付近で沈没。乗員乗客24名のうち、生存は乗組員1名のみという遭難事故が発生している。
そんな由良岬廻りを避けて人々が往来したのが、こちらの「船越」地区。地名が示す通り「船」を担いで陸地を「越」えた場所。そのような事が行われたのは、周辺と比べると水面と陸地標高の高低差が最も小さい地点だったと考えることができます。その時雇われた人夫たちは酒一升ないしは二升を報酬に、作業に当たったと記録されています。
が、それは小舟の時代。いくら屈強な海の男たちが集まったとしても、何百トンの船となるとさすがに担ぐことはできず、戦後この地峡部分に運河建設が計画されました。
二代目船越橋
船越運河にやってきました。
運河に架かる「船越橋」。明らかに真新しさを感じますが、
それもそのはず、こちらの橋は平成22年(2010)3月の架橋。
現・船越橋は実は二代目で、旧橋は老朽化等により近年撤去されました。現橋のすぐ南側に旧橋の橋台と、
「昭和39年11月30日竣工」
と刻まれた旧橋の親柱に、運河の歴史を見ることができます。
昭和35年(1960)着工、同41年(1966)竣工。
運河南北の風景
船越橋から眺める北側の海。
由良半島は、
北側...旧津島町下灘(現宇和島市)
南側...旧内海村(現愛南町)
に行政区が分かれており、こちらは北側下灘の海。
南側、愛南の海が広がっています。
この時は南から北へ向かって潮が流れていますが、潮の干満によって流れる方向が変わります。
船越運河の潮流は平均2ノット。時速に直すと約3.7km/h。川並みの速さで流れています。
船越運河停留所
船越運河へは、公共交通機関である路線バスで来ることができます。
この停留所のデザインとフォント...まんま宇和島自動車のものですね。近年まで同社によって運行されていた由良半島の路線ですが、他を含めていくつかの路線が自治体が運行するコミュニティバスに移管されたようです。
船越運河を経由する本網代・柏線(ほんあじろ・かしわせん)は、宇和島や城辺(じょうへん)など地域のターミナルから直行便は無く、それらの場所からは半島付け根の「鳥越トンネル」や「柏」で乗り換える必要があるため、観光としては機能していません。
船越運河の諸元など
新しい橋にも「船越運河」の銘板が掲げられていました。
南予にある3つの運河は「開発保全航路」の指定を受けて、国による管理が行われています。
船越運河のスペックは、
延長...300m
水深...3m
幅員...20m
最大航行可能船型...約100トン
船越航路によって短縮される距離は約10km。燃料の節約はもちろんですが、天候によって左右される半島先端部を航行せずに済む心理的効果は、多大なものと察します。
船越運河
< 自家用車 >
高松駅から 約3時間40分、269km
松山空港から 約2時間、126km
※ 主な地点からの最速・最短距離
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