戦時単線化の跡と山頭火上陸の地<高浜-梅津寺間/愛媛県松山市>
愛媛県松山市に拠点を置く日本で二番目に古い鉄道事業者・伊予鉄道(いよてつどう、伊予鉄)。同社が保有する松山市内線・郊外線のうち、後者は中心駅となる「松山市駅」を中心とした三路線から成ります。そのうち伊予鉄発祥路線の高浜線末端区間は、造成された鉄道敷地に対して線路や架線が片側のみ設置される、不自然な形になっています。
四国遍路にゆかりある道
この不自然な形を調査するため、
高浜(たかはま)-梅津寺(ばいしんじ)
間を歩くことにします。鉄道の営業距離で言えば1.2km。ちょっとした沿線さんぽです。
高浜駅<たかはまえき/愛媛県松山市>
旅の始まりは明治時代に建てられた高浜駅から。洋風の名駅舎に別れを告げて歩き始めます。
歩き始めてすぐにある一つ目の踏切。
「太山寺へ約1.8km」
とあります。太山寺とは四国八十八ヶ所・第52番太山寺(たいさんじ)。高浜背後にある経ヶ森(きょうがもり/標高203m)を越えた裏側に寺院が位置します。
今でこそ多くの巡礼者が四国八十八ヶ所を回り始めるのは徳島県鳴門市にある第1番霊山寺(りょうぜんじ)ですが、かつて交通未発達の時代は九州からの四国遍路は南予の八幡浜港(やわたはまこう)に上陸したり、岡山からは丸亀に上陸して第78番郷照寺(ごうしょうじ)、広島からの巡礼者は三津や高浜に上陸して第52番太山寺から回り始める等、海を隔てて四国と向き合う地域の人々が四国遍路を始めるにあたっては、対岸へ渡って一番近くにある札所を(概念の上で)1番札所として巡礼を開始しました。
現在踏切が設置されているこの道は、高浜住民の生活道路であるほか、広島や山口から八十八ヶ所参りを行うため四国に上陸した巡礼者が多数通行したものと思われます。
踏切から高浜駅を眺めたところ。プラットホームは海側の一線のみ。山側にもう一本線路が敷かれていますが、こちらはあくまで駅構内の留置線。乗客が乗り降りするための設備ではありません。
しかしながら路盤と架線柱の幅は、複線分確保されていることがわかります。
山頭火上陸の地
歩き始めてすぐ、種田山頭火(たねださんとうか)の句碑があります。
種田山頭火<たねださんとうか/1882-1940>
山口県防府市生まれ。五七五の定型俳句に対して、字数や季語にとらわれない自由律俳句を詠む代表人物だが、その生涯は数奇。
幼少期の実母の自殺や家業であった酒造所の破産による家族離散。関東大震災の被災。熊本での路面電車への飛び込み自殺未遂。酒癖によって身を持ち崩す等。
ひよいと四国へ晴れきつてゐる
松山へは終生の棲家を求めて上陸、敬愛する俳人の墓参や四国八十八ヶ所参りを行った。その後は松山城が見える地に「一草庵(いっそうあん)」を構え、句友らの支えによりそれまでの波乱万丈の人生とは対極の平穏な生活を送り、上陸の翌年に往生した。
山頭火が松山へ上陸した当時の高浜港は、現在の駅前の位置ではなく梅津寺方面へ少し進んだ南寄りの場所。こちらの句碑がある場所を「山頭火上陸の地」として後世に伝え続けています。
大きく取られた鉄道用地の秘密
山頭火句碑がある場所から、県道・線路共に少しずつ登って行きます。線路は単線ですが、敷地や架線柱は複線幅のもの。
松山市方面への列車が駆け抜けて行きました。列車が走行すると鉄道用地が複線分確保されていることが、より分かり易い。
高浜線は昭和6年(1931)7月に複線電化が完成していたが、戦争末期の昭和20年(1945)2月に資材不足により金属供出の命令が下り、高浜線全線において片側の線路が剥がされ単線化が行われた。
供出したレールは、同じ愛媛県内で資材不足から建設が滞っていた予讃線の「八幡浜(やわたはま)-宇和島(うわじま)」間の敷設に転用。当時は戦局が悪化して、次に米軍が上陸するのが九州南部、四国南部と噂されていた時期。本土決戦に備えて四国南部に物資輸送の手段を確保するため、予讃線の建設が急がれていた。
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戦後、昭和27年(1952)2月の「梅津寺-三津」の複線化を皮切りに、昭和39年(1964)7月には「梅津寺-松山市」の間で再複線化が完了。しかしながら末端区間(=今歩いている部分)の「高浜-梅津寺」間は再複線化が行われることなく、単線化されたまま据え置かれて今に至ります。
これら戦時中の「不要不急線(ふようふきゅうせん)」政策は全国で広く行われ、
①元々輸送規模が小さかった路線...鍛冶屋原線(かじやばらせん、徳島)など
②寺社参詣等の観光輸送が中心で軍事上重要度が低い路線...屋島登山鉄道(香川)など
③並行路線があり代替輸送が可能な路線...琴平急行電鉄(香川)など
④複線だったものが一線撤去により単線化された路線...伊予鉄道高浜線(愛媛)など
伊予鉄道高浜線は④に分類され単線化が行われた。
①②③の中には戦後復活した路線があれば、そのまま廃止になった路線、復活したけれどその後廃止になった路線がある。
④では戦後に時間をかけて全線再複線化を果たした「京阪神急行鉄道(現京阪電鉄)石山坂本線(いしやまさかもとせん、滋賀)」や、単線化されたまま現存する「京阪神急行鉄道(現阪急電鉄)嵐山線(あらしやません、京都)」、「伊予鉄道高浜線」のように路線の一部で再複線化を果たした路線があります。
種田山頭火句碑
< 自家用車 >
高松駅から 約2時間30分、167km
松山空港から 約20分、8.2km
< 公共交通機関 >
伊予鉄道高浜線 高浜駅下車、徒歩3分
※ 主な地点からの最速・最短距離
続き
2020,2/26 戦時単線化の跡と松山を代表する文豪の句碑<高浜-梅津寺間/愛媛県松山市>
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