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Art Exhibition in the bus Meets KUNIBO WADA

琴平町出身の芸術家・和田邦坊

バス車内に持ち込める手荷物の大きさ

灸まん美術館 香川県善通寺市は、コトバスからの依頼を受けて和田邦坊の作品を使ったラッピングバスの制作を行いました 。邦坊は、時事漫画家、小説家、農業学校の教員、讃岐民芸館の初代館長、商業プロデューサー、デザイナー、画家など多彩な分野で活躍した人物です。このたび琴平町出身の芸術家として、楽しい香川旅の最初のアテンド係をラッピングバスという形で拝命いたしました。

プロフィール

香川県出身の和田邦坊(1899~1992)は、時事漫画家、小説家、商業プロデューサー、讃岐民芸館館長、デザイナー、画家として活躍した人物です。代表作は、お札を燃やしている船成金の風刺漫画、小説『うちの女房にゃ髭がある』 など。戦後は、香川県民であれば誰もが知る物産品の数々をデザインし「香川のデザインは邦坊のデザイン」と謳われる時代を作り上げました。画家としての活躍もあり、デザイナーの剣持勇から依頼を受けて制作した障壁画《 讃岐の松 》は、現在も知事応接室に展示されており県民の目にも馴染み深い作品です。昭和四十年、障壁画をみた版画家・棟方志功は「香川県庁大広間の和田邦坊画伯の大画業は今世の絶大に数えられるべきものと感嘆やまないことです」と絶賛しています。また、彫刻家のイサム・ノグチも「邦坊さんの絵 それは日本の神様が遊んでいる形です」と表現し、世界的アーティストたちからも支持された画業を残しています。

《成金栄華時代》

バス車内に持ち込める手荷物の大きさ

「暗くてお靴が分からないわ」「どうだ明るくなっただろう」という台詞も有名な風刺漫画。
第1次世界大戦のあとに造船業で成功した成金を揶揄して描いています。
90年以上前の作品になりますが、お金持ちが豪遊する姿をユーモアいっぱいに表現した有名な漫画です。
今でも歴史の教科書だけでなく様々なメディアで話題を集めている人気の作品。知る人ぞ知る邦坊の代表作です。

扉絵/和田邦坊《 成金栄華時代 》
『現代漫画大観3巻』中央美術社、昭和3年

バス外観について

まず、バス全体を邦坊がデザインした包装紙で包み込みました。賑やかな絵柄は、琴平の土産物店の包装紙になります。関西と香川を結ぶ観光バスということで、琴平で楽しい土産話を作ってほしいという願いを込めました。
また、バス後部は邦坊が描いた高灯籠を取り入れています。高灯籠は、地元の人にとっては子供の頃から親しみを持っている場所ですが、旅のお客様にとっては琴平で出会う最初の歴史的建造物になります。琴平を守る灯台のような高灯籠は、邦坊にとっても愛着がある琴平の名所として描いています。また、高灯籠越しに金刀比羅宮の旭社や博物館も描いており、金比羅参りへの期待感もそそられる作品になります。バスの後部車両につくドライバーたちにも琴平への旅情を感じてもらえると幸いです。

バス車内に持ち込める手荷物の大きさ

デザイン

《包装紙・原画》 昭和30年代

こんぴら堂(琴平町)のために描き下ろした包装紙の図案。灸まん美術館が所蔵する原画をもとにラッピングバスのデザインを作成しました 。看板商品の「灸まん」といえば、定番の赤茶色の包装紙が有名ですが、それ以外に販売する商品については、この包装紙を使用しています。「ざいごせんべい」や「ごませんべい」(それぞれ邦坊がプロデュースしたお菓子!)を買うと、もれなくこの包装紙でラッピング!なかには「包装紙はいるけれど包まなくていいです。丸めて筒にしてください」という邦坊ファンもいます。渡す人だけでなく貰う人の気持ちも明るく元気にしてくれるデザインは、琴平で長く愛され続けています。

バス車内に持ち込める手荷物の大きさ

《琴平》 年代不明

デザイン台帳(和田邦坊旧蔵品)に添付されていたミニ団扇の原画。飾り団扇のような大判 ではなく、手のひらサイズの団扇として企画されています。商品化が実現したのかは分かりませんが、香川県の三大名所《 琴平 》《 栗林公園 》《 屋島 》 をシリーズ化して商品展開をしようとしていたようです。琴平の名所は鞘橋や旭社など様々ありますが、邦坊はよく高灯籠を描いています。高灯籠は、地元の人にとって待ち合わせや遊び場として親しまれた場所です。また駅前にあることから、全国各地の旅人を迎えるシンボルのように慕っていたのかもしれません。邦坊にとっても思い出深い場所であったことが想像できます。

邦坊ギャラリーをオープン!

バス車内に持ち込める手荷物の大きさ

内装は、後部座席を改造してKUNIBO Gallery を設置しました(バスの停車時に観覧いただきます)。展示作品は、 邦坊がプロデュースした民芸品や工芸品を使った調度品 だけでなく、香川県民にとってはお馴染みの パッケージデザインや絵葉書 などの小物を可愛く、そして楽しく紹介しています。格子の壁に展示した「飾り団扇」は、邦坊が考案した大判の丸亀団扇になります。また 、パッケージの函やお菓子の栞などは邦坊がデザインした商品の数々になります。気になるものは今でも手に入るというところも嬉しいポイント。ぜひ お土産を買う楽しみ や選ぶヒントにしてもらえると幸いです。

主な展示作品
飾り団扇、風呂敷絵、四季絵(木版画)、短冊絵(一閑張)、絵馬(十二支)、和田邦坊デザインのパッケージ資料(函・栞)、年賀状、コースター、お菓子のサンプルなど

展示解説

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鯉飛ぶ 昭和44年(1969)飾り団扇・木版画

大きく目を見開いて、大きな口をあけた鯉。しぶきをあげて飛び出すような姿に圧倒される「飾り団扇」です。「飾り団扇」とは、香川県の特産品である大判の丸亀団扇で邦坊が考案した商品です。プラスチック製品の団扇の登場により衰退する丸亀団扇と自身のデザインをコラボレーションさせて新しい付加価値を作り、茶会などで話題を集めました。賛(絵の中にある言葉)は「清流無間断 碧樹不曾凋(せいりゅうかんだんなく へきじゅかつてしぼまず)」という禅の言葉です。清らな川の水は絶え間なく流れ、常緑樹の美しさも枯れることがないという意味になります。

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八風吹不動(はっぷうふけどもどうぜず)昭和45年(1970)飾り団扇 木版画

「八風」とは、人の心をかき乱す8つの悪い風(利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽)のことをいい、タイトルは不動の精神を意味する禅語です。画題は、松平藩主が城主であった高松城です。天守閣は現存していませんが、隅を固める櫓(やぐら)は、いまも健在。長年、海風から城を守ってきた姿は、八風も遮る堂々した姿です。群青色の背景には、群立する松の姿をみることができます。1年を通して美しい常緑樹の松は、永久であること、不変であることを意味し今も昔も変わらず城の威厳を支えています。

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風、雷、雨 昭和30年代 風呂敷

邦坊は、商業プロデューサーとして様々な茶会を企画した人物です。茶器などの設えはもちろんのこと、客人への土産物(飾り団扇、風呂敷、お盆、色紙絵など)もオリジナル商品を考案しています。風呂敷は、愛らしい風神、雷神、雨の神様をデザインしています。単調なモノクロームの色彩ですが、それぞれが風、雷、雨を呼んでいるような楽しい雰囲気が伝わってきます。風神雷神という定番の画題に雨の神様を描いているとことろが邦坊らしさを感じます。水不足に悩んできた故郷・香川への思いが込められています。

展示作品

バス車内に持ち込める手荷物の大きさ

手のひらサイズの邦坊作品。お店の箱もケースに入れて眺めると作品として鑑賞することができます。見て食べて楽しい邦坊の世界を少しだけ披露しました。

バス車内に持ち込める手荷物の大きさ

邦坊が毎年デザインしていた多彩な絵馬の数々。プロデュースしていた店舗のノベルティグッズとして贈呈していました。

灸まん美術館について

灸まん美術館は、平成3年(1991)4月13日、芸術家・和田邦坊の業績を顕彰する文化施設として誕生しました。琴平町出身の邦坊は、新聞漫画家・小説家として一世風靡した人物で、戦後は当時の県知事や文化人との交流を深め、民芸やデザイン、絵画などの分野で香川の文化・芸術に広く影響を与えました。コレクションは、邦坊の生前から譲渡・購入した絵画だけでなく遺族からの寄贈を受けた作品・資料・愛蔵品を収蔵しており「和田邦坊画業館」にて公開しています。また、初代館長・位野木峯夫の遺志を継承して邦坊の作品・資料を収集・保管・展示し、関連する調査研究及び事業を行っています。そして、高瀬町出身の陶芸家・大森照成の作品、中国伝来の仏像も展示し、地元作家の活動拠点となる「灸まん美術館ギャラリー」を運営しています。館内には、美術鑑賞のひと時を喫茶で過ごせる「カフェコンピーラ」を併設しており、ふるさとの文化・芸術を楽しめる施設として多彩な空間を提供しています。

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灸まん × 和田邦坊について

昭和23年(1948)に創業した「灸まん本舗石段や」は、 ⾦ 金刀比羅宮の参道に本店があり、お灸の形をした饅頭「灸まん」が看板商品です。名前の由来は、旅籠に泊まる旅人に据えていたお灸がモチーフになっており、琴平名物として親しまれています。「灸まん本舗石段や」は、琴平町出⾝ の画家・和田邦坊がプロデュースして誕生しました。創業時は「こんぴら堂」という屋号で飴や煎餅の製造・卸をしていましたが、新しい事業を成功させたいと考え、地元に住んでいた邦坊に協力の依頼をしました。当初、邦坊はあまり事業に関心を寄せず、峯夫からの依頼を何度も断り続けていました。しかし「本物の琴平の土産物を作りたい!」という真摯な思いを受けて、新商品の開発からプロデュースすることになりました。邦坊は、新しい屋号や店の名前、商品開発だけでなく、パッケージ、内装など様々な商業デザインを手掛け、琴平を代表する銘菓「灸まん」を作り上げました。峯夫はそんな邦坊を人生の師と仰ぎ、晩年まで様々な活動を支えてきました。

バス車内に持ち込める手荷物の大きさ

協力・灸まん美術館/和田邦坊画業館